2010年02月09日
少数意見の価値についての情報理論的考察
大それた題だが,この様な考え方もできるということ。
議決をすれば多数意見が通るのは当然なので,少数意見がどれほどの価値を持ちうるか,ということが会議の運営上重要になる。その少数意見の価値はどのように測ればよいだろうか。勿論,最終的にはその内容の良し悪しに帰着することになるのであるが,数で表される客観的な指標として,

というものを考えることができる。ここで p はある意見の全体に占める割合である。一方,

は意見「それ自体の価値」のようなもので,誰でも思いつくようなステロタイプな意見では p が 1 に近くなるので 0 に近づく。つまり価値のない意見ということである。逆に少数であればあるほど普通の人間が思いつかない価値のある意見ということになる。しかし,あまりに少数であると影響力を持てなくなるということも考慮すべきなので, p を掛ければ少数意見の価値を測る総合的な目安となるというわけである。実はこれは情報理論で使われる情報の期待値の式の項である。
それではが最大になるのはどんなときか,というわけで微分をしてみると,

となって,これから

のとき,およその数字で言えば p ≈ 0.368 のときであることがわかる。
さて,遊び心でこれに衆議院議員の定数 480 を掛けてみると,理想的な議員配分は与党が 303 野党が 177 ということになる。昨夏の選挙の結果民主党の単独政権となっておれば,おおむねこれに近い数字になっていたと言える。その後の連立政権のもたつきを見ると確かに単独の方が良かったのかと思うが,これは意味が少し違うかもしれない。
面白いことに,議決の際に過半数で決するというやり方の他に 3 分の 2 以上で決するというやり方が従来からある。後者では少数意見が全体の 0.333··· 以下ということになり,最初の式でグラフを描くと分かるが,少数意見の総合的な価値が急速に低下するところになる。「3 分の 2 以上」ということにはそれだけの重みがあるということである。
議決をすれば多数意見が通るのは当然なので,少数意見がどれほどの価値を持ちうるか,ということが会議の運営上重要になる。その少数意見の価値はどのように測ればよいだろうか。勿論,最終的にはその内容の良し悪しに帰着することになるのであるが,数で表される客観的な指標として,

というものを考えることができる。ここで p はある意見の全体に占める割合である。一方,

は意見「それ自体の価値」のようなもので,誰でも思いつくようなステロタイプな意見では p が 1 に近くなるので 0 に近づく。つまり価値のない意見ということである。逆に少数であればあるほど普通の人間が思いつかない価値のある意見ということになる。しかし,あまりに少数であると影響力を持てなくなるということも考慮すべきなので, p を掛ければ少数意見の価値を測る総合的な目安となるというわけである。実はこれは情報理論で使われる情報の期待値の式の項である。
それではが最大になるのはどんなときか,というわけで微分をしてみると,

となって,これから

のとき,およその数字で言えば p ≈ 0.368 のときであることがわかる。
さて,遊び心でこれに衆議院議員の定数 480 を掛けてみると,理想的な議員配分は与党が 303 野党が 177 ということになる。昨夏の選挙の結果民主党の単独政権となっておれば,おおむねこれに近い数字になっていたと言える。その後の連立政権のもたつきを見ると確かに単独の方が良かったのかと思うが,これは意味が少し違うかもしれない。
面白いことに,議決の際に過半数で決するというやり方の他に 3 分の 2 以上で決するというやり方が従来からある。後者では少数意見が全体の 0.333··· 以下ということになり,最初の式でグラフを描くと分かるが,少数意見の総合的な価値が急速に低下するところになる。「3 分の 2 以上」ということにはそれだけの重みがあるということである。
2010年01月26日
三匹の虎の尾を踏んだ小沢一郎
Linux の記事ばかり書いていて,そのあと二ヵ月ほど更新を怠っていた。その間,政治がかなりややこしいことになってきたが,あまり本質的でないところで大騒ぎをしているような感じである。多くの国民はそのことをわかっているようである。民主党の支持率が低下しても自民党の支持率が上向かないのはその証拠であろう。
小沢一郎がかなり追い詰められている。これを見て誰しも思い出すのは田中角栄の失脚である。師の失敗を見て,その轍を踏むまいと思うのが普通であるが,小沢一郎の場合は何か魅入られたように田中角栄と同じ道を歩んでいるように思える。
その田中角栄が失脚したのはやはりカネの問題であったが,カネのことは単なる材料であって,本質は別のところにあるというのが妥当な見方であろう。おそらく,アメリカと十分な打合せなしに中国と結ぼうとしたことが失脚の最大の要因である。ここでも今の小沢一郎に田中角栄の姿が重なってくる。ただでさえ普天間基地問題を抱えているのに,先日小沢一郎が議員団を率いて訪中し,山岡賢次国対委員長の例の発言があったとなると,虎の尾を踏んだどころか横腹を蹴飛ばしたようなものである。
虎は一匹ではない。あと少なくとも二匹はいる。天皇制と官僚である。丸山真男が格闘したことからわかるように,日本人の誰もが多かれ少なかれ天皇制の呪縛を受けている。その天皇制にあそこまで踏み込んだ政治家は戦後にはいなかったのではないだろうか。もう一つの官僚,これも天皇制と並んで日本の特質を形づくっているものである。
普通の政治家ならこの三匹の虎の恐ろしさは良くわかっていて,敢えて挑発することはしないであろう。アメリカに唯々諾々と従い,官僚に丸投げし,天皇制には関わりあいを持たず,そうして長期政権を全うした政治家が近年にいるが,実に賢い人物である。勿論,褒めて言っているのではない。
小沢一郎ともあろうものがこの単純なことを分からないはずはない。彼はそれに敢えて逆らったのである。もしも小沢一郎がこの難局を乗り越えたとすれば,それはこの三匹の虎に潰されない政治家が出現したこと,すなわち日本の政治が変わることを意味する。それが良いことか悪いことかはさておき,今,日本の歴史が分岐点にあることは間違いない。そうした意味で今後の事態の推移を見守りたい。
小沢一郎がかなり追い詰められている。これを見て誰しも思い出すのは田中角栄の失脚である。師の失敗を見て,その轍を踏むまいと思うのが普通であるが,小沢一郎の場合は何か魅入られたように田中角栄と同じ道を歩んでいるように思える。
その田中角栄が失脚したのはやはりカネの問題であったが,カネのことは単なる材料であって,本質は別のところにあるというのが妥当な見方であろう。おそらく,アメリカと十分な打合せなしに中国と結ぼうとしたことが失脚の最大の要因である。ここでも今の小沢一郎に田中角栄の姿が重なってくる。ただでさえ普天間基地問題を抱えているのに,先日小沢一郎が議員団を率いて訪中し,山岡賢次国対委員長の例の発言があったとなると,虎の尾を踏んだどころか横腹を蹴飛ばしたようなものである。
虎は一匹ではない。あと少なくとも二匹はいる。天皇制と官僚である。丸山真男が格闘したことからわかるように,日本人の誰もが多かれ少なかれ天皇制の呪縛を受けている。その天皇制にあそこまで踏み込んだ政治家は戦後にはいなかったのではないだろうか。もう一つの官僚,これも天皇制と並んで日本の特質を形づくっているものである。
普通の政治家ならこの三匹の虎の恐ろしさは良くわかっていて,敢えて挑発することはしないであろう。アメリカに唯々諾々と従い,官僚に丸投げし,天皇制には関わりあいを持たず,そうして長期政権を全うした政治家が近年にいるが,実に賢い人物である。勿論,褒めて言っているのではない。
小沢一郎ともあろうものがこの単純なことを分からないはずはない。彼はそれに敢えて逆らったのである。もしも小沢一郎がこの難局を乗り越えたとすれば,それはこの三匹の虎に潰されない政治家が出現したこと,すなわち日本の政治が変わることを意味する。それが良いことか悪いことかはさておき,今,日本の歴史が分岐点にあることは間違いない。そうした意味で今後の事態の推移を見守りたい。
2009年11月01日
Linux で MIDI を聴けるようにする
Linux を通常にインストールしても MIDI ファイルを聴くことは出来ない。古いサウンドカードかさもなくば高級なサウンドカードであればハードウェアシンセサイザーが載っているので MIDI ファイルのデータから音を出してくれる。しかし,現在の通常のサウンドカードにはハードウェアシンセサイザーがない。そこで,Windows ではソフトウェアシンセサイザーによって MIDI ファイルから音を作り,それを PCM データとしてサウンドカードに送って音を出している。一方,Linux では ALSA がハードウェアシンセサイザーしかサポートしていないので,MIDI ファイルを再生することができないのである。
これを解決するには Linux でソフトウェアシンセサイザーがあれば良いことになる。Timidity++ はその役目を果たしてくれるものである。
Timidity++ をインストールしただけではピアノなど限られた楽器の音しか入っていないので,例えば
ftp://ftp.lysator.liu.se/pub/awe32/soundfonts/2MBGMGS.SF2
をダウンロードし,
/usr/share/timidity/timidity.cfg
を編集して,
soundfont /home/silverfox/2MBGMGS.SF2
という行を加える(ダウンロード場所を /home/silverfox とした場合)。こうすれば様々な楽器の音を鳴らすことができる。
また,timidity -iA と打って Timidity++ を起動すると,Timidity++ のシーケンサーポートが出来るので,KMid などでそのポートを指定すると KMid でも MIDI ファイルを再生することが出来る。KDE の起動時に自動的にこれを実行するようにするために
/home/forest/.kde4/Autostart
に start.script という名前で(名前は任意でよい)
#!/bin/bash
timidity -iA
という内容のファイルを作る。実行可能にするため,
chmod +x start.script
をしておく。
これで HD の上にある MIDI ファイルのみならず,MIDI を埋め込んでいるウェブサイトの MIDI も聴ける。Firefox の場合は plug-in が必要になる。それをインストールするための rpm の名前を書くと何故か「本文に登録できない単語が含まれています」と出て,チャンネル北国tv に登録できない。残念ながらここに書けないわけであるが,moz で始まるものである。検索していただきたい。
これを解決するには Linux でソフトウェアシンセサイザーがあれば良いことになる。Timidity++ はその役目を果たしてくれるものである。
Timidity++ をインストールしただけではピアノなど限られた楽器の音しか入っていないので,例えば
ftp://ftp.lysator.liu.se/pub/awe32/soundfonts/2MBGMGS.SF2
をダウンロードし,
/usr/share/timidity/timidity.cfg
を編集して,
soundfont /home/silverfox/2MBGMGS.SF2
という行を加える(ダウンロード場所を /home/silverfox とした場合)。こうすれば様々な楽器の音を鳴らすことができる。
また,timidity -iA と打って Timidity++ を起動すると,Timidity++ のシーケンサーポートが出来るので,KMid などでそのポートを指定すると KMid でも MIDI ファイルを再生することが出来る。KDE の起動時に自動的にこれを実行するようにするために
/home/forest/.kde4/Autostart
に start.script という名前で(名前は任意でよい)
#!/bin/bash
timidity -iA
という内容のファイルを作る。実行可能にするため,
chmod +x start.script
をしておく。
これで HD の上にある MIDI ファイルのみならず,MIDI を埋め込んでいるウェブサイトの MIDI も聴ける。Firefox の場合は plug-in が必要になる。それをインストールするための rpm の名前を書くと何故か「本文に登録できない単語が含まれています」と出て,チャンネル北国tv に登録できない。残念ながらここに書けないわけであるが,moz で始まるものである。検索していただきたい。
2009年10月04日
Linux で ThinkPad の充電を調節する
ThinkPad を気に入っている点の一つが,充電をコントロールし,過充電や過放電を防止できることである。しかし,Linux (OpenSuSE 11.1) を入れてからはこの機能が使えずにいた。せっかくの機能をなんとか使えないかと調べていたのだが,tp_smapi を使って充電のコントロールができた。
まず,http://rpm.pbone.net/ で kernel のバージョンに応じた rpm をダウンロードする。今回は tp_smapi-kmp-default-0.40_2.6.27.29_0.1-3.5.i586.rpm を用いた。
次に,/etc/sysconfig/kernel をエディタで開いて MODULES_LOADED_ON_BOOT="tp_smapi" とし,起動時に読み込むようにさせる。
続いて /usr/sbin/ に set_battery_thresholds というファイルを作る。ファイルの内容は次のとおり。これは 40% 以下になったら充電を開始するように設定を変更するということである。これは毎回 tp_smapi の起動時にデフォルトの値が読み込まれてしまうので,その設定を変更するのに必要なファイルである。
#!/bin/bash
# set the battery charging thresholds to extend battery lifespan
echo 40 > /sys/devices/platform/smapi/BAT0/start_charge_thresh
保存後,chmod 744 /usr/sbin/set_battery_thresholds を行って execute 可能にする。
更に,このファイルをシステム起動時に読み込むようにさせる。そのために /etc/init.d/ に battery という名称の,以下の内容のファイルを作る。
#!/bin/bash
/usr/sbin/set_battery_thresholds
これも chmod 744 /etc/init.d/battery を行って execute 可能にする。続いて YaST > System > System Services (Runlevel) > Expert Mode で battery を runlevel 5 で読み込むのを指定する。
以上を行って再起動すると設定が反映される。
試しにバッテリーを途中まで充電した状態でシャットダウンし,電源アダプターを抜いて再び差し込むと電源ランプが充電中を示すオレンジとなるが,この状態で起動すると,(充電が 40% を超えていたら)起動画面の途中で電源ランプが緑に変わり,充電が停止することが分かる。
set_battery_thresholds にコマンドを追加することで例えば 70% の充電になったら停止するとか,充電時間に制限を設けるとかができる。ただしこれは ThinkPad の機種によってできることが異なってくる。下記を参照されたい。
http://www.thinkwiki.org/wiki/Tp_smapi#Model-specific_status
これで通常の使用には問題ないが,移動の前など 100% 充電に切り替えたいときがある。コンソールから root 権限で
echo 100 > /sys/devices/platform/smapi/BAT0/start_charge_thresh
とすれば良いのであるが,いちいちこの様な入力は大変である。GUI でコントロールできないかどうか,今後検討したい。
まず,http://rpm.pbone.net/ で kernel のバージョンに応じた rpm をダウンロードする。今回は tp_smapi-kmp-default-0.40_2.6.27.29_0.1-3.5.i586.rpm を用いた。
次に,/etc/sysconfig/kernel をエディタで開いて MODULES_LOADED_ON_BOOT="tp_smapi" とし,起動時に読み込むようにさせる。
続いて /usr/sbin/ に set_battery_thresholds というファイルを作る。ファイルの内容は次のとおり。これは 40% 以下になったら充電を開始するように設定を変更するということである。これは毎回 tp_smapi の起動時にデフォルトの値が読み込まれてしまうので,その設定を変更するのに必要なファイルである。
#!/bin/bash
# set the battery charging thresholds to extend battery lifespan
echo 40 > /sys/devices/platform/smapi/BAT0/start_charge_thresh
保存後,chmod 744 /usr/sbin/set_battery_thresholds を行って execute 可能にする。
更に,このファイルをシステム起動時に読み込むようにさせる。そのために /etc/init.d/ に battery という名称の,以下の内容のファイルを作る。
#!/bin/bash
/usr/sbin/set_battery_thresholds
これも chmod 744 /etc/init.d/battery を行って execute 可能にする。続いて YaST > System > System Services (Runlevel) > Expert Mode で battery を runlevel 5 で読み込むのを指定する。
以上を行って再起動すると設定が反映される。
試しにバッテリーを途中まで充電した状態でシャットダウンし,電源アダプターを抜いて再び差し込むと電源ランプが充電中を示すオレンジとなるが,この状態で起動すると,(充電が 40% を超えていたら)起動画面の途中で電源ランプが緑に変わり,充電が停止することが分かる。
set_battery_thresholds にコマンドを追加することで例えば 70% の充電になったら停止するとか,充電時間に制限を設けるとかができる。ただしこれは ThinkPad の機種によってできることが異なってくる。下記を参照されたい。
http://www.thinkwiki.org/wiki/Tp_smapi#Model-specific_status
これで通常の使用には問題ないが,移動の前など 100% 充電に切り替えたいときがある。コンソールから root 権限で
echo 100 > /sys/devices/platform/smapi/BAT0/start_charge_thresh
とすれば良いのであるが,いちいちこの様な入力は大変である。GUI でコントロールできないかどうか,今後検討したい。
2009年10月01日
Linux で BIOS のアップデート
長年使って来た T42 であるが,調子が悪くなったのでシステムリカバリをしたところ,リカバリの途中で停止してしまう。残りを手動でインストールしようとすると「ディスクの空き領域がない」と言って受け付けてくれない。表示では数十 MB 残っているにもかかわらず,である。
バックアップディスクからの復元をしようかとも思ったが,これを機に新しいものを買おうかと考えた。思えば数々の海外旅行に同行し,国内でも手荒な扱いを受けてきたので,よく持ったものだと言えるかもしれない。新しいノートパソコンは時間をかけてゆっくりと選ぶことにして,それまでにとりあえず T42 が使えるようにと思い,openSuSE 11.1 をインストールしてみた(暮れには 11.2 が出る予定だが)。
インストール自体はうまく行った。ところが数日使っているうちに,時間が大きく狂うことに気がついた。大体 1 時間に 10 数分の割合である。電源を落としたあと電源アダプターを接続したままだと狂わないが,外しておくと狂う。これは買ってから未だ一度も交換していない内臓バッテリーが寿命なのかと考え,分解して電池の電圧をテスターで調べたところ,意外にも所定の電圧を示し,全く減っていない。
さて,困った。ネットでいろいろ調べたがどうもこの症状に合致するものがない。諦めかけたところ,ふとしたことで BIOS のアップデートに気がついた。自分の T42 はもはや Windows は入っていないが,Linux のみ搭載された PC でも BIOS のアップデートが可能である。
http://www.thinkwiki.org/wiki/BIOS_Upgrade
この Booting the image with syslinux の項を参考にして行った。自分の場合,root (hd0,0) のところを root (hd0,1) にする必要があったが,その他はここに書かれている通りである。起動の際に IBM BIOS update を選ぶと BIOS アップデートの画面になった。後は通常通り指示に従って行くとアップデートが完了した。そして,時計の狂いもなくなった。
これでめでたしめでたしであるが,このような症状を経験した人がいるであろうと思われるのに,BIOS アップデートという対処法が意外にもあまり書かれていない。ネットの情報のうち,役立つのはほんの一部だという事実を改めて認識した次第である。
バックアップディスクからの復元をしようかとも思ったが,これを機に新しいものを買おうかと考えた。思えば数々の海外旅行に同行し,国内でも手荒な扱いを受けてきたので,よく持ったものだと言えるかもしれない。新しいノートパソコンは時間をかけてゆっくりと選ぶことにして,それまでにとりあえず T42 が使えるようにと思い,openSuSE 11.1 をインストールしてみた(暮れには 11.2 が出る予定だが)。
インストール自体はうまく行った。ところが数日使っているうちに,時間が大きく狂うことに気がついた。大体 1 時間に 10 数分の割合である。電源を落としたあと電源アダプターを接続したままだと狂わないが,外しておくと狂う。これは買ってから未だ一度も交換していない内臓バッテリーが寿命なのかと考え,分解して電池の電圧をテスターで調べたところ,意外にも所定の電圧を示し,全く減っていない。
さて,困った。ネットでいろいろ調べたがどうもこの症状に合致するものがない。諦めかけたところ,ふとしたことで BIOS のアップデートに気がついた。自分の T42 はもはや Windows は入っていないが,Linux のみ搭載された PC でも BIOS のアップデートが可能である。
http://www.thinkwiki.org/wiki/BIOS_Upgrade
この Booting the image with syslinux の項を参考にして行った。自分の場合,root (hd0,0) のところを root (hd0,1) にする必要があったが,その他はここに書かれている通りである。起動の際に IBM BIOS update を選ぶと BIOS アップデートの画面になった。後は通常通り指示に従って行くとアップデートが完了した。そして,時計の狂いもなくなった。
これでめでたしめでたしであるが,このような症状を経験した人がいるであろうと思われるのに,BIOS アップデートという対処法が意外にもあまり書かれていない。ネットの情報のうち,役立つのはほんの一部だという事実を改めて認識した次第である。
2009年09月27日
イチローと小林秀雄
イチローの 2000 本安打達成のあとの朝日新聞の天声人語に,かつてイチローが「「僕は天才ではありません。なぜなら自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです。」と語ったことが書かれていた。今までイチローの発言には取り立てて興味は持って来なかったのだが,この言葉にはいささかなるほどと思わせるものがあった。
もしも小林秀雄が存命であれば,「こいつ,わかってるな」とにんまり笑ったに違いない。
小林秀雄が繰り返し問題にしたのは「説明できないこと」の取り扱いである。説明できることは誰でも信じることが出来る。その意味では,大学者であっても学問に縁がない者でも本質的に同じなのである。説明できないことを信じることが出来るのか,小林秀雄の眼光は知識人と呼ばれる者たちにそう問いかけている。そして,説明されるものでなければ信じられないという態度を軽蔑していたのである。
高校 2 年の時,国語の時間に小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」の序文を読まされた。読んでも全く分からなかった。小林秀雄の文章が少しは分かるようになったのは大学に入ってからで,そして小林秀雄が言いたかったことはおそらくこうであろうと思えるようになったのはこの歳になってからである。本来高校生が「如き」,それも理科系を目指す高校生に,小林秀雄が分かるはずがない。もしも分かるという高校生がいたら,それは中学校・高校での勉強を真面目にやって来なかった者である可能性が大きい。
このことは,小林秀雄が非論理的な人間であったということではない。彼ほどの巨人であれば,論理的思考を行った上で,それでもそれによって拾い上げられないものへの思いを力説したのだと考えられる。作品の随所に見られる自然科学的な内容を見ても,相当正しく理解していることがうかがえる。突けば,いろいろおかしな点がある。正しく検証されていないことを事実であるかのように言いきってしまうことが多い。それを指摘されても,小林秀雄は「俺が言いたいのはそんなことじゃないんだよ」と言うだけであろう。正しいか正しくないかではなく,信じられるか信じられないか,ということが小林秀雄にとって問題なのである。
説明できないことをするのが天才であれば,そのことがわかっているのは達人かもしれない。すなわちイチローは小林秀雄の好きな「達人」なのである。小林秀雄に影響を受けた多くの人間がこの「達人」を目指した。しかし,小林秀雄がなぜあのような文章を書いたのかというと,小林秀雄の登場がマルキシズムが文壇・思想界を席捲していた時代であったことを抜きにしては考えられない。同じ頃の寺田寅彦の文章を読むと,自然科学をも巻き込むマルキシズムの主張に対する漠然とした疑問を抱いていたことが見て取れる。その時代背景を理解した上でこそ,小林秀雄の本当の価値が分かるのである。小林秀雄にかぶれた人間はそのことを抜きにして,小林秀雄と同じような発言を繰り返しているのである。彼らに言わせると,戦後の風潮も大正時代と同じくマルキシズムが席捲していると言いたいのかもしれないが。
イデオロギーや党派性を嫌った小林秀雄の信奉者たちが最もイデオロギッシュで党派的であるという皮肉な結果になっている。そして彼らに共通しているのが,人を見下す態度である。イチローの言葉は「達人」は「天才」ではないことをはっきりと示している。今こそ彼らはこのイチローの言葉に学ぶべきであろう。
もしも小林秀雄が存命であれば,「こいつ,わかってるな」とにんまり笑ったに違いない。
小林秀雄が繰り返し問題にしたのは「説明できないこと」の取り扱いである。説明できることは誰でも信じることが出来る。その意味では,大学者であっても学問に縁がない者でも本質的に同じなのである。説明できないことを信じることが出来るのか,小林秀雄の眼光は知識人と呼ばれる者たちにそう問いかけている。そして,説明されるものでなければ信じられないという態度を軽蔑していたのである。
高校 2 年の時,国語の時間に小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」の序文を読まされた。読んでも全く分からなかった。小林秀雄の文章が少しは分かるようになったのは大学に入ってからで,そして小林秀雄が言いたかったことはおそらくこうであろうと思えるようになったのはこの歳になってからである。本来高校生が「如き」,それも理科系を目指す高校生に,小林秀雄が分かるはずがない。もしも分かるという高校生がいたら,それは中学校・高校での勉強を真面目にやって来なかった者である可能性が大きい。
このことは,小林秀雄が非論理的な人間であったということではない。彼ほどの巨人であれば,論理的思考を行った上で,それでもそれによって拾い上げられないものへの思いを力説したのだと考えられる。作品の随所に見られる自然科学的な内容を見ても,相当正しく理解していることがうかがえる。突けば,いろいろおかしな点がある。正しく検証されていないことを事実であるかのように言いきってしまうことが多い。それを指摘されても,小林秀雄は「俺が言いたいのはそんなことじゃないんだよ」と言うだけであろう。正しいか正しくないかではなく,信じられるか信じられないか,ということが小林秀雄にとって問題なのである。
説明できないことをするのが天才であれば,そのことがわかっているのは達人かもしれない。すなわちイチローは小林秀雄の好きな「達人」なのである。小林秀雄に影響を受けた多くの人間がこの「達人」を目指した。しかし,小林秀雄がなぜあのような文章を書いたのかというと,小林秀雄の登場がマルキシズムが文壇・思想界を席捲していた時代であったことを抜きにしては考えられない。同じ頃の寺田寅彦の文章を読むと,自然科学をも巻き込むマルキシズムの主張に対する漠然とした疑問を抱いていたことが見て取れる。その時代背景を理解した上でこそ,小林秀雄の本当の価値が分かるのである。小林秀雄にかぶれた人間はそのことを抜きにして,小林秀雄と同じような発言を繰り返しているのである。彼らに言わせると,戦後の風潮も大正時代と同じくマルキシズムが席捲していると言いたいのかもしれないが。
イデオロギーや党派性を嫌った小林秀雄の信奉者たちが最もイデオロギッシュで党派的であるという皮肉な結果になっている。そして彼らに共通しているのが,人を見下す態度である。イチローの言葉は「達人」は「天才」ではないことをはっきりと示している。今こそ彼らはこのイチローの言葉に学ぶべきであろう。
2009年09月17日
福田衣理子と前原誠司
民主党政権の誕生を TV で見ながら,少し前に自民党の関係者から聞いた話を思い出した。それが表題の二人のことである。
福田衣理子はこの一年で政治家として大変成長した。マスコミは小沢ガールズとひと括りにするけれど,それに収まるものではない。将来が楽しみだ。ということである。それに対して前原誠司の評判は良くない。自民党は民主党を「政策勉強の同好会」とみなしているという話を聞いたことがあるが,前原誠司のことは「我々は彼を少年探偵団だと思っている」と笑っていた。
言うまでもなく,福田衣理子は小沢一郎が育てたのである。ということは,小沢一郎は人を育てる力があるということである。小沢一郎のダーティーなイメージは多分に作られたものである。それには武村正義が関わっていたであろう。その小沢から民主党内で一番遠くに居るのが前原である。図らずも,自民党が民主党内で一目を置く人物に関連した人物と,そうでない人物の話を聞くことが出来たわけである。今後の民主党の中で注目すべき対立軸となるかどうか分からないが,自民党がどう考えているかについての情報は有益であろう。
福田衣理子はこの一年で政治家として大変成長した。マスコミは小沢ガールズとひと括りにするけれど,それに収まるものではない。将来が楽しみだ。ということである。それに対して前原誠司の評判は良くない。自民党は民主党を「政策勉強の同好会」とみなしているという話を聞いたことがあるが,前原誠司のことは「我々は彼を少年探偵団だと思っている」と笑っていた。
言うまでもなく,福田衣理子は小沢一郎が育てたのである。ということは,小沢一郎は人を育てる力があるということである。小沢一郎のダーティーなイメージは多分に作られたものである。それには武村正義が関わっていたであろう。その小沢から民主党内で一番遠くに居るのが前原である。図らずも,自民党が民主党内で一目を置く人物に関連した人物と,そうでない人物の話を聞くことが出来たわけである。今後の民主党の中で注目すべき対立軸となるかどうか分からないが,自民党がどう考えているかについての情報は有益であろう。
2009年08月19日
Google Calendar の予定を携帯に取り込む方法
以前にも記事に書いたが,予定管理は Google Calendar を使っている。この良い所の一つは,秘書など自分の予定を知っておいてもらいたい特定の人々に公開できることである。
実際の運用においては,自分の PC に Sunbird を入れて Google Calendar と同期させている(http://ch12200.kitaguni.tv/e374192.html)。この方法には
まず,https://addons.mozilla.org/en-US/sunbird/addon/4721 の plugin をダウンロードし,Sunbird を立ち上げて Tools > Add-ons からこのダウンロードしたファイルを選んでインストールする。これによって vCalendar 形式で出力する機能が付く。Sunbird をリスタートすることでこの機能が有効になる(リスタートは自動的に聞いてくるので忘れる心配は無いであろう)。
次に,Sunbird の左のパネルから export したいカレンダーを選んで右クリックし,Export Calendar... を選び,ファイル名を指定,形式 vCalendar (*.vcs) を選ぶ。Save を押すと .vcs Support Options を聞いてくる。下のように指定する。エンコードは utf-8 を選ぶこと。携帯のカレンダーは書き込める予定の数が決まっていることが多いので,エクスポート対象期間は必要なだけにとどめておくのが良いであろう。

最後に,こうして出来た vcs ファイルをメモリカードに入れて携帯に差し込み,バックアップの機能を使ってカードからこのファイルを読み込めば,携帯のカレンダーに表示される。Sunbird は utf-8 を使い,携帯は sjis を使っているので文字化けするかと思ったが,Softbank 816SH では文字化けしなかった。最近の携帯は utf-8 も読めるようになってきているようである。
逆に携帯で予定を作成・変更してそれを戻すということも可能かもしれない。しかし,携帯には Sunbird, Google Calendar に書かれている全ての予定は入らないので,携帯の vcs ファイルを元に戻すのは危険と思われる。Sunbird から携帯への一方向のデータ転送にとどめておき,携帯のカレンダーは外出先での予定の確認に使うのが無難であろう。
気の付いた点は以下の通りである。ただしこれは携帯の機種に依存する現象である可能性,または設定次第で変わる可能性がある。今後検討したい。
実際の運用においては,自分の PC に Sunbird を入れて Google Calendar と同期させている(http://ch12200.kitaguni.tv/e374192.html)。この方法には
- PC がオフラインになっている時にも予定を見ることができる。
- いざと言うときのバックアップとなる。
- 予定のコピー&ペーストなど,Google Calendar では今ひとつやりにくいことが簡単に行える。
- 携帯のカレンダーに予定を取り込める。
まず,https://addons.mozilla.org/en-US/sunbird/addon/4721 の plugin をダウンロードし,Sunbird を立ち上げて Tools > Add-ons からこのダウンロードしたファイルを選んでインストールする。これによって vCalendar 形式で出力する機能が付く。Sunbird をリスタートすることでこの機能が有効になる(リスタートは自動的に聞いてくるので忘れる心配は無いであろう)。
次に,Sunbird の左のパネルから export したいカレンダーを選んで右クリックし,Export Calendar... を選び,ファイル名を指定,形式 vCalendar (*.vcs) を選ぶ。Save を押すと .vcs Support Options を聞いてくる。下のように指定する。エンコードは utf-8 を選ぶこと。携帯のカレンダーは書き込める予定の数が決まっていることが多いので,エクスポート対象期間は必要なだけにとどめておくのが良いであろう。

最後に,こうして出来た vcs ファイルをメモリカードに入れて携帯に差し込み,バックアップの機能を使ってカードからこのファイルを読み込めば,携帯のカレンダーに表示される。Sunbird は utf-8 を使い,携帯は sjis を使っているので文字化けするかと思ったが,Softbank 816SH では文字化けしなかった。最近の携帯は utf-8 も読めるようになってきているようである。
逆に携帯で予定を作成・変更してそれを戻すということも可能かもしれない。しかし,携帯には Sunbird, Google Calendar に書かれている全ての予定は入らないので,携帯の vcs ファイルを元に戻すのは危険と思われる。Sunbird から携帯への一方向のデータ転送にとどめておき,携帯のカレンダーは外出先での予定の確認に使うのが無難であろう。
気の付いた点は以下の通りである。ただしこれは携帯の機種に依存する現象である可能性,または設定次第で変わる可能性がある。今後検討したい。
Sunbird で private に設定しているイベントは携帯に取り込まれなかった。Sunbird で private に設定しているイベントも携帯に取り込まれる。携帯のほうで表示する/しない設定にすれば(816SH では設定 > 本体設定 > セキュリティ設定 > シークレットモード > 表示する/表示しない)によって見る/隠すことが出来る。(2009-08-24 訂正)
- Sunbird のカテゴリーで携帯のカレンダーのカテゴリーに無いものは「指定なし」になる。面白いことに,Sunbird で自分で追加した Meeting と Education は携帯ではそれぞれ「会議」「学校」として絵文字付きで表示された。
- カードから読み込む場合はうまく行ったが,Bluetooth を用いて送った場合,vcs ファイルの最初のイベントしか読み込まれなかった。
2009年08月17日
TBS の下手な洒落
ベルリンの世界陸上は TBS が独占放送をしている。CM で頻りに人が壁にぶつかる場面を映し,「壁を破る」という趣旨のフレーズを流していた。訝しく思って調べてみると,「TBS世界陸上ベルリン大会」の番組のテーマが「記録の壁,崩壊。」ということで,それに沿った CM になっていたようである。少々驚いて,大会の公式ページを見てみた。大会もそれをテーマか何かにしているのだろうかと思ったのである。ところが,私が探す限りにおいてそれらしいものは見つからない。どうやら TBS が独自に「番組の」テーマとして付けたものであって,「大会の」テーマではないようである。
言うまでもなく,今年はベルリンの壁崩壊 20 周年である。それに引っ掛けて「記録の壁,崩壊」としたのは間違いない。この文句を考え出した人は上手くユーモアを効かせたと思ったかもしれない。なるほど,「大喜利」の頓知のレベルなら問題はなかろう。しかし,もしもこのようなテーマが付けられているという事をベルリン市民,ドイツ国民,またヨーロッパ諸国民が知ったら,どう思うかということを TBS は考えなかったのだろうか。
ベルリンの壁の悲劇を茶化すようなテーマを平然と付ける TBS の感覚はどうなっているのだろうか。そもそも,スポーツの大会はありのまま伝えればよいのであって,それをテレビ局が勝手にアレンジする必要はないはずなのだが,このアレンジの仕方までもが悪い冗談になっている。
相変わらずの絶叫調のアナウンサーの声が空しく感じられる。そんな夜が続きそうである。
言うまでもなく,今年はベルリンの壁崩壊 20 周年である。それに引っ掛けて「記録の壁,崩壊」としたのは間違いない。この文句を考え出した人は上手くユーモアを効かせたと思ったかもしれない。なるほど,「大喜利」の頓知のレベルなら問題はなかろう。しかし,もしもこのようなテーマが付けられているという事をベルリン市民,ドイツ国民,またヨーロッパ諸国民が知ったら,どう思うかということを TBS は考えなかったのだろうか。
ベルリンの壁の悲劇を茶化すようなテーマを平然と付ける TBS の感覚はどうなっているのだろうか。そもそも,スポーツの大会はありのまま伝えればよいのであって,それをテレビ局が勝手にアレンジする必要はないはずなのだが,このアレンジの仕方までもが悪い冗談になっている。
相変わらずの絶叫調のアナウンサーの声が空しく感じられる。そんな夜が続きそうである。
2009年08月07日
「BS 20 歳」に見る日本語の癖
ブログは一年近く休止状態だった。前にも長い間休止したことがあったが,いずれも仕事が忙しくなっていたためである。研究で忙しくなったのであれば良いのだが,そうではないところに現在の日本の大学の抱える問題の一端が顕れているようである。
さて,TV は朝と晩にしか見ないのであるが,NHK がしきりに「BS20歳ドキドキ」の CM を流しているのが気になった。何が気になったかというと,最初のバージョンではどう聞いても「ドキドキキ」と聞こえることである。二十歳は心騒ぐ年頃であるから「ドキドキ期」なのかなあ,と思ったが,画面のロゴを見るとちゃんと「ドキドキ」である。
ネットで調べてみると,やはり同じように感じる方々が多数居られる。様々な説明がある中で,おそらく「語呂が良くなるから無理やり入れた」という説明が一番妥当なところであろう。わかっていてやった(今風で言うところの「確信犯」-本来の意味とは違うが)というところであろう。何故そう言えるか,と言うと,旋律が
ソミソ! ミファミ! レミレシ ド (!は休符)
となっているからである。「ドキドキ」をこれに合わせるならば「ドキドーキ」となってしまう。やはり「ドキドキキ」でないとこの旋律に合わない。
では旋律に引きずられて歌詞が変わったのだろうか。実は,歌詞がそのように変わることとこの旋律がつけられたことは強く連関している。
上記のように,そもそも「BS20歳ドキドキ」自体が語呂が悪い。日本語は七五調が美しいので,
ビーエスハタチ ドキドキキ
としたくなるような力が働いたと考えられる。一文字足すのは何でもよいのであるが,何を足しても意味不明になるので,それならキを繰り返すのが良かろうということなのだろう。
日本の近代音楽では七五調の歌詞に旋律をつける際によく
タタタタ タタタ タタタタ タ
のリズムが使われた。例としては「荒城の月」がある。あの「BS20歳ドキドキ」の旋律はまさにこれなのである。語呂が良くなるようにされたということと,このリズムになるということは,等価であると言っていい。
かと言って,意味不明な歌詞になって良い訳がない。特に NHK ならば放送される言葉について大きな責任がある。そのような批判がおそらくあったのだろう。最近放送されるものはいくつかの登場人物があるが,すべて
ビーエスハタチ ドキドッキ
となり,旋律も
ソミソ! ミファミ! レミレ!ド
となっている。正しい日本語になったが,苦しい感じがする。画面で頑張って叫んでいるタレントも苦しそうである。正しくはないけれども語呂が良いからそうなった,というのは日本語が常にたどって来た歴史である。
戦前,日本精神が鼓舞された時代には七五調の歌詞に曲をつけるのにも勇ましいリズム
タンタタタ タタタ タンタタタ タ
が使われるようになった。典型的な例は「愛国行進曲」である。「BS20歳ドキドキ」の旋律がこれでなくて良かったと言えるかも知れない。ただ,音階が「海行かば」に似ているのが気になるが。
さて,TV は朝と晩にしか見ないのであるが,NHK がしきりに「BS20歳ドキドキ」の CM を流しているのが気になった。何が気になったかというと,最初のバージョンではどう聞いても「ドキドキキ」と聞こえることである。二十歳は心騒ぐ年頃であるから「ドキドキ期」なのかなあ,と思ったが,画面のロゴを見るとちゃんと「ドキドキ」である。
ネットで調べてみると,やはり同じように感じる方々が多数居られる。様々な説明がある中で,おそらく「語呂が良くなるから無理やり入れた」という説明が一番妥当なところであろう。わかっていてやった(今風で言うところの「確信犯」-本来の意味とは違うが)というところであろう。何故そう言えるか,と言うと,旋律が
ソミソ! ミファミ! レミレシ ド (!は休符)
となっているからである。「ドキドキ」をこれに合わせるならば「ドキドーキ」となってしまう。やはり「ドキドキキ」でないとこの旋律に合わない。
では旋律に引きずられて歌詞が変わったのだろうか。実は,歌詞がそのように変わることとこの旋律がつけられたことは強く連関している。
上記のように,そもそも「BS20歳ドキドキ」自体が語呂が悪い。日本語は七五調が美しいので,
ビーエスハタチ ドキドキキ
としたくなるような力が働いたと考えられる。一文字足すのは何でもよいのであるが,何を足しても意味不明になるので,それならキを繰り返すのが良かろうということなのだろう。
日本の近代音楽では七五調の歌詞に旋律をつける際によく
タタタタ タタタ タタタタ タ
のリズムが使われた。例としては「荒城の月」がある。あの「BS20歳ドキドキ」の旋律はまさにこれなのである。語呂が良くなるようにされたということと,このリズムになるということは,等価であると言っていい。
かと言って,意味不明な歌詞になって良い訳がない。特に NHK ならば放送される言葉について大きな責任がある。そのような批判がおそらくあったのだろう。最近放送されるものはいくつかの登場人物があるが,すべて
ビーエスハタチ ドキドッキ
となり,旋律も
ソミソ! ミファミ! レミレ!ド
となっている。正しい日本語になったが,苦しい感じがする。画面で頑張って叫んでいるタレントも苦しそうである。正しくはないけれども語呂が良いからそうなった,というのは日本語が常にたどって来た歴史である。
戦前,日本精神が鼓舞された時代には七五調の歌詞に曲をつけるのにも勇ましいリズム
タンタタタ タタタ タンタタタ タ
が使われるようになった。典型的な例は「愛国行進曲」である。「BS20歳ドキドキ」の旋律がこれでなくて良かったと言えるかも知れない。ただ,音階が「海行かば」に似ているのが気になるが。
2008年11月12日
関東大震災がなければ関西はもっと早く地盤沈下していた
井戸・兵庫県知事が首都圏で近い将来起こるであろう地震が関西復権の好機になるという旨の発言をしたそうである。案の定,波紋を広げているようであるが,このような発言が関西の為政者から出たということはある意味において納得できることである。
関西の地盤沈下が指摘されて久しい(久しいというのはすでに通り過ぎた感もあるが)。しかしなぜ「地盤沈下」と表現されるほどの経済力をかつて有していたのか。江戸時代に天下の台所と呼ばれた大阪を抱えていることも理由であるが,ほかにもう一つ,忘れがちなのが関東大震災である。これがなければ関西はもっと早く地盤沈下していたのである。関東大震災で東京・横浜の経済活動の多くが大阪・神戸に移った。例えば有名な洋菓子のユーハイムも,この時に横浜から神戸に移転したのが今も続いているのである。まさに関東大震災のおかげで関西が栄えたと言っていいのである。このことを考慮すると,今般の井戸知事の発言の意味がよくわかるであろう。
不適切ではあるが,このような発言をした井戸知事は,見方を変えてみれば,関西の経済の本質を他の近畿圏の知事の誰よりも良く認識していると言えるのかも知れない。関東大震災あっての関西経済であったのであり,関東大震災から立ち直って時間が経てば経つほど,関西の重みは減る一方なのである。それを認識しないと,関西への過剰な投資を要求しつづけることになり,日本国民全体へしわ寄せが及ぶことになろう。
他地域の人間から見ると,関西の人々は何かしきりに「関東と対等」を強調しているように見える。それに敬意を表して(?)NHK などは朝の連続テレビドラマを東京と大阪で半年ごとに交替で作っている。他地域のものからすれば,半年間,朝に大阪放送局の制作する関西弁の飛び交うドラマを見せられることになる。大阪が日本の文化の半分を支えているとはとても思えないのに,である。これも上記の「しわ寄せ」の一つかもしれない。
関西人はもはや関東に伍すことはできないこと,歴史的役割を終えたことを早く認めるべきである。そのためには井戸知事の発言の裏にある(本人の意図かどうか分からないが)メッセージに気がつかなければならない。さて,どれだけの関西人が気がつくであろうか。
関西の地盤沈下が指摘されて久しい(久しいというのはすでに通り過ぎた感もあるが)。しかしなぜ「地盤沈下」と表現されるほどの経済力をかつて有していたのか。江戸時代に天下の台所と呼ばれた大阪を抱えていることも理由であるが,ほかにもう一つ,忘れがちなのが関東大震災である。これがなければ関西はもっと早く地盤沈下していたのである。関東大震災で東京・横浜の経済活動の多くが大阪・神戸に移った。例えば有名な洋菓子のユーハイムも,この時に横浜から神戸に移転したのが今も続いているのである。まさに関東大震災のおかげで関西が栄えたと言っていいのである。このことを考慮すると,今般の井戸知事の発言の意味がよくわかるであろう。
不適切ではあるが,このような発言をした井戸知事は,見方を変えてみれば,関西の経済の本質を他の近畿圏の知事の誰よりも良く認識していると言えるのかも知れない。関東大震災あっての関西経済であったのであり,関東大震災から立ち直って時間が経てば経つほど,関西の重みは減る一方なのである。それを認識しないと,関西への過剰な投資を要求しつづけることになり,日本国民全体へしわ寄せが及ぶことになろう。
他地域の人間から見ると,関西の人々は何かしきりに「関東と対等」を強調しているように見える。それに敬意を表して(?)NHK などは朝の連続テレビドラマを東京と大阪で半年ごとに交替で作っている。他地域のものからすれば,半年間,朝に大阪放送局の制作する関西弁の飛び交うドラマを見せられることになる。大阪が日本の文化の半分を支えているとはとても思えないのに,である。これも上記の「しわ寄せ」の一つかもしれない。
関西人はもはや関東に伍すことはできないこと,歴史的役割を終えたことを早く認めるべきである。そのためには井戸知事の発言の裏にある(本人の意図かどうか分からないが)メッセージに気がつかなければならない。さて,どれだけの関西人が気がつくであろうか。
2008年11月06日
オバマが勝ったのは良いが
大統領選挙前のアメリカに滞在した。日本に帰ってくると,オバマ勝利のニュースが飛び込んできた。マスコミは「オバマ圧勝」と言っているが,それはアメリカの大統領選挙制度のトリックで,得票率で言えばほんの僅かである。南オセチア紛争のときに書いた記事でマケインの勝利を予想したが,リーマンブラザーズの破綻に端を発する金融危機がなければ,マケインが勝っていたに違いない。しかし,あの金融危機を機にアメリカ国民もやっと目が醒めたと言える大統領選挙結果であり,その意味では歓迎すべき結果であろう。
オバマはアメリカ経済の再生を期待されて当選した。当然,経済政策が注目され,それがうまく行かなければすぐに国民から見放されるであろう。果たしてアメリカ経済の復活の見込みはあるのだろうか。アメリカのスーパーマーケットやショッピングモールを歩きながらそう考えた。一体,アメリカの経済を牽引するものは何なのか。言い方を変えれば,アメリカ国民はどうやってメシを食うことが出来るのか。自動車産業にはその力がなく,最近では IT と金融に頼っていたことはよく指摘されることである。その「金融をメシの種にする」というのは本質的にバブリーなものであり,必ず破綻する。やはり実質的な産業でないと持続できないのである。決して金融の意義を否定するものではないが,一国,それもアメリカのような大国が金融を基幹産業にするというのは道を誤っている。その点においてはまだ IT の方が健全な産業と言えるが,今や IT も飽和状態である。世界的な IT の整備が一段落したら,もうメンテナンスにしかお金を使わなくなるだろう。そのようなわけで,これからアメリカの経済を復興させようとすれば,新たな産業を育成しなければならないのである。しかし,そのような候補,芽の出そうなものはあるだろうか。
多分,オバマはそのようなことは百も承知だろう。アメリカ経済を牽引する新しい産業が出来るまでアメリカはどうすべきなのか。一番本質的な解決策は,アメリカ国民の生活の質を落とすよりも他にないのである。しかしそのような直截的な表現はできない。その代わりにオバマは勝利演説でアメリカ国民に対して "service",そして間をおいて,重々しい言葉である "sacrifice" を口にして協力を求めたのである。
そのような観点からすれば,減税による経済活性化という政策はするべきこととは反対のことをしていることになる。おそらくそれを実行すればうまく行かないだろう。公約として掲げた減税をどうするか。オバマ政権は最初から苦労をしそうである。
話はそれるが,大統領選挙結果を報じた NHK のニュース番組を見ていると,青山アナウンサーの力量不足が如実に現れていると感じる。昔の通りスポーツ担当が一番合っていると思うが,なぜこんな重要なポストに抜擢されたのだろう。
オバマはアメリカ経済の再生を期待されて当選した。当然,経済政策が注目され,それがうまく行かなければすぐに国民から見放されるであろう。果たしてアメリカ経済の復活の見込みはあるのだろうか。アメリカのスーパーマーケットやショッピングモールを歩きながらそう考えた。一体,アメリカの経済を牽引するものは何なのか。言い方を変えれば,アメリカ国民はどうやってメシを食うことが出来るのか。自動車産業にはその力がなく,最近では IT と金融に頼っていたことはよく指摘されることである。その「金融をメシの種にする」というのは本質的にバブリーなものであり,必ず破綻する。やはり実質的な産業でないと持続できないのである。決して金融の意義を否定するものではないが,一国,それもアメリカのような大国が金融を基幹産業にするというのは道を誤っている。その点においてはまだ IT の方が健全な産業と言えるが,今や IT も飽和状態である。世界的な IT の整備が一段落したら,もうメンテナンスにしかお金を使わなくなるだろう。そのようなわけで,これからアメリカの経済を復興させようとすれば,新たな産業を育成しなければならないのである。しかし,そのような候補,芽の出そうなものはあるだろうか。
多分,オバマはそのようなことは百も承知だろう。アメリカ経済を牽引する新しい産業が出来るまでアメリカはどうすべきなのか。一番本質的な解決策は,アメリカ国民の生活の質を落とすよりも他にないのである。しかしそのような直截的な表現はできない。その代わりにオバマは勝利演説でアメリカ国民に対して "service",そして間をおいて,重々しい言葉である "sacrifice" を口にして協力を求めたのである。
そのような観点からすれば,減税による経済活性化という政策はするべきこととは反対のことをしていることになる。おそらくそれを実行すればうまく行かないだろう。公約として掲げた減税をどうするか。オバマ政権は最初から苦労をしそうである。
話はそれるが,大統領選挙結果を報じた NHK のニュース番組を見ていると,青山アナウンサーの力量不足が如実に現れていると感じる。昔の通りスポーツ担当が一番合っていると思うが,なぜこんな重要なポストに抜擢されたのだろう。
2008年10月08日
日本語の「ウ」は無いに等しい
ノーベル物理学賞で理論物理の日本人研究者が三人受賞したことは,新自由主義に毒された現在の日本の科学政策を見直す機運を高めることにつながるかもしれないので,大変有意義なことである。
そのことはまたの機会に論じることにして,今日は音韻がらみの話である。ノーベル賞委員会の発表で益川さんの名前を読み上げるとき,「マスカーワ」と,かなり日本語の発音に近かったのに気づかれた方もいらっしゃるだろう。欧米人が "Masukawa" を発音すると「マスーウカーワ」となる。益川さんは "Maskawa" の名前で活動されていて,ノーベル賞委員会の発表も "Maskawa" で行っているので,「マスカーワ」となったのである。
多くの言語では "u" を日本語よりも口を尖らせて発音する。日本語のように口をあまり動かさずに "u" を発音するのは特殊である(韓国語の二種類の "u" のうちの弱いほう(たとえば su なら수と스があるが스のほう)は近いと言える)。
日本語のローマ字表記は機械的に「ウ」段に "u" を割り当てている。他の表記法では大変であるから仕方ないが,そのためにローマ字で日本語を書いて外国人に発音させると「ウ」が異様に強く聞こえる。外国人に日本語の通常の発音に近い発音をしてもらおうと思ったら,ローマ字から語頭を除いて "u" を取り去るのが一つの方法であろう。そのようなことは実際に企業広告などでは行われている。大学でも立命館大学が Rits としたりしているのはその例である。
逆に言うと,外来語のカタカナ表記で k や s や m を「ク」「ス」「ム」としているのは正しくなく,それが日本人の外国語の発音を悪くさせているという意見があるが,それは的を外している。 k や s や m は「ク」「ス」「ム」で十分なのである。これが原因で通じないということはありえない。カタカナ語が外国語の発音に悪影響を与えているのは確かであるが,それはまた別のところの問題である。
日本人は子音の発音ができないというのは神話であり,我々は常に子音の発音をしているのである。このことは外国人に日本語を教えるにあたって重要なことであるが,どの程度認識されているだろうか。
そのことはまたの機会に論じることにして,今日は音韻がらみの話である。ノーベル賞委員会の発表で益川さんの名前を読み上げるとき,「マスカーワ」と,かなり日本語の発音に近かったのに気づかれた方もいらっしゃるだろう。欧米人が "Masukawa" を発音すると「マスーウカーワ」となる。益川さんは "Maskawa" の名前で活動されていて,ノーベル賞委員会の発表も "Maskawa" で行っているので,「マスカーワ」となったのである。
多くの言語では "u" を日本語よりも口を尖らせて発音する。日本語のように口をあまり動かさずに "u" を発音するのは特殊である(韓国語の二種類の "u" のうちの弱いほう(たとえば su なら수と스があるが스のほう)は近いと言える)。
日本語のローマ字表記は機械的に「ウ」段に "u" を割り当てている。他の表記法では大変であるから仕方ないが,そのためにローマ字で日本語を書いて外国人に発音させると「ウ」が異様に強く聞こえる。外国人に日本語の通常の発音に近い発音をしてもらおうと思ったら,ローマ字から語頭を除いて "u" を取り去るのが一つの方法であろう。そのようなことは実際に企業広告などでは行われている。大学でも立命館大学が Rits としたりしているのはその例である。
逆に言うと,外来語のカタカナ表記で k や s や m を「ク」「ス」「ム」としているのは正しくなく,それが日本人の外国語の発音を悪くさせているという意見があるが,それは的を外している。 k や s や m は「ク」「ス」「ム」で十分なのである。これが原因で通じないということはありえない。カタカナ語が外国語の発音に悪影響を与えているのは確かであるが,それはまた別のところの問題である。
日本人は子音の発音ができないというのは神話であり,我々は常に子音の発音をしているのである。このことは外国人に日本語を教えるにあたって重要なことであるが,どの程度認識されているだろうか。
2008年09月27日
地名のひらがな化
前回の記事に関係したことだが,「平成の大合併」に伴ってひらがな地名が大量に生産されている。これについては「歴史や文化の破壊である」との批判が強い。私も基本的にその批判に賛同する立場であるが,そうは言っても,何故「地名のひらがな化」という動きが世の中にあるのか,何がその原動力となっているのかを解析しなければ,批判も徒労に終わってしまうだろう。
例えば,よく槍玉に挙げられ,「地名のひらがな化」の嚆矢とも言われる「さいたま市」であるが,この地名の由来を辿っていくと,「さいたま市」が悪いとは言えないようになってくる。「さいたま」の由来には諸説あるが,いずれも「さきたま」というものが最初にあって,それが訛って「さいたま」になったことはほぼ間違いがない。その「さきたま」に「埼玉」という漢字を当てたのが「埼玉」の由来である。漢字がその地名の土地を意味しているものではない。日本に漢字が入って以後,最初に日本語を表すのに使われたのは万葉仮名である。そして地名も万葉仮名で当てられていた。それが奈良時代には「地名は好字・嘉名二字を用いよ」との官命が出され,それによって「さきたま」は「埼玉」になったのである。そうすると,「埼玉」はもともと当て字であるので,それをひらがなで書くようになっても構わないのではないか,強いて漢字を使わなければならないということはないのではないか,という主張も理解できることになる。そのような目で見ると,全国に出現した「ひらがな市名」のうち,もともとの漢字に意味があるのは「かほく市」(河北市と書くべきであった)などほんの少しであり,他の多くはもともと使われた漢字が当て字であったのである。
最近の子供の名前を見ていると,語感を重視して最初に音があり,漢字をそれに当てはめるような命名が目立つ。日本人の名前はもとからそのような傾向があったが,最近はそれが著しくなっている。しかし,日本人が漢字を取り入れたときのことを思うと,当て字というものは日本人の習性であるということが分かってくる。日本人にとっては漢字は表音文字になりかねない。日本人にとっては「耳に心地よい」響きが何よりも大切なのであって,それを求める方向性は漢字の持つ意味などを蹴散らしてしまう力を持っている。
もともと漢字の意味も考えずに付けられた当て字の地名がひらがなになったところで,何を批判できよう。「歴史」とか「伝統」とかを持ち出して漢字表記を主張しても,大して効果はない。それは日本語の「語感重視」という特質を無視しているからである。それならばどういう立場で批判すべきだろうか。これについては次回の記事にしたい。
例えば,よく槍玉に挙げられ,「地名のひらがな化」の嚆矢とも言われる「さいたま市」であるが,この地名の由来を辿っていくと,「さいたま市」が悪いとは言えないようになってくる。「さいたま」の由来には諸説あるが,いずれも「さきたま」というものが最初にあって,それが訛って「さいたま」になったことはほぼ間違いがない。その「さきたま」に「埼玉」という漢字を当てたのが「埼玉」の由来である。漢字がその地名の土地を意味しているものではない。日本に漢字が入って以後,最初に日本語を表すのに使われたのは万葉仮名である。そして地名も万葉仮名で当てられていた。それが奈良時代には「地名は好字・嘉名二字を用いよ」との官命が出され,それによって「さきたま」は「埼玉」になったのである。そうすると,「埼玉」はもともと当て字であるので,それをひらがなで書くようになっても構わないのではないか,強いて漢字を使わなければならないということはないのではないか,という主張も理解できることになる。そのような目で見ると,全国に出現した「ひらがな市名」のうち,もともとの漢字に意味があるのは「かほく市」(河北市と書くべきであった)などほんの少しであり,他の多くはもともと使われた漢字が当て字であったのである。
最近の子供の名前を見ていると,語感を重視して最初に音があり,漢字をそれに当てはめるような命名が目立つ。日本人の名前はもとからそのような傾向があったが,最近はそれが著しくなっている。しかし,日本人が漢字を取り入れたときのことを思うと,当て字というものは日本人の習性であるということが分かってくる。日本人にとっては漢字は表音文字になりかねない。日本人にとっては「耳に心地よい」響きが何よりも大切なのであって,それを求める方向性は漢字の持つ意味などを蹴散らしてしまう力を持っている。
もともと漢字の意味も考えずに付けられた当て字の地名がひらがなになったところで,何を批判できよう。「歴史」とか「伝統」とかを持ち出して漢字表記を主張しても,大して効果はない。それは日本語の「語感重視」という特質を無視しているからである。それならばどういう立場で批判すべきだろうか。これについては次回の記事にしたい。
2008年09月19日
札幌駅とさっぽろ駅
JR が「札幌駅」なのに,なぜ地下鉄が「さっぽろ駅」なのか。これは区別をするためというより,もう少し深い意味がありそうである。
他都市から来た人は,地下鉄の駅をわざわざ平仮名にしていることを不思議に思うのであるが,反対に札幌から他都市に行くとその理由が良く分かる。例えば京都では JR 京都駅の地下にある地下鉄の駅は「京都駅」である。私が京都に住んでいたとき,この駅名に違和感を感じた。その違和感は説明しにくいのであるが,一つの表現をするなら,「同じ京都市内なのに,なぜこの駅だけ『京都』という名前が付くのか」ということである。「京都駅」は他都市との関係において京都を代表する駅,表玄関である。一方,地下鉄というのは市民の足である。市民にとって地下鉄の駅というのは他都市との対比において意識するものではない。なのに,その地下鉄の駅名をずらっと並べた中に「京都」という名の駅が存在することの違和感。京都市民の感覚なら「八条」でも良かったのである。それを強いて「京都」としたのは,他所から来た人に分かってもらうためには仕方ないから「京都」にするが,自分たちは「JR 京都駅前駅」という意味合いで意識する,という風に折り合いをつけたのである。
札幌では,やはり同じことが意識され,「さっぽろ駅」は市を代表する駅ではないというメッセージを込めて命名されたのである。
Wikipedia には「JRの札幌駅が「市全体」を意味するのに対し、地下鉄のさっぽろ駅は「地下鉄駅周辺の限られたエリア」を意味することから」と説明があるが,それだけではわかりにくいであろう。上の文章を読んだ後でこの説明を読むと,言わんとすることが分かるのではないだろうか。
他都市から来た人は,地下鉄の駅をわざわざ平仮名にしていることを不思議に思うのであるが,反対に札幌から他都市に行くとその理由が良く分かる。例えば京都では JR 京都駅の地下にある地下鉄の駅は「京都駅」である。私が京都に住んでいたとき,この駅名に違和感を感じた。その違和感は説明しにくいのであるが,一つの表現をするなら,「同じ京都市内なのに,なぜこの駅だけ『京都』という名前が付くのか」ということである。「京都駅」は他都市との関係において京都を代表する駅,表玄関である。一方,地下鉄というのは市民の足である。市民にとって地下鉄の駅というのは他都市との対比において意識するものではない。なのに,その地下鉄の駅名をずらっと並べた中に「京都」という名の駅が存在することの違和感。京都市民の感覚なら「八条」でも良かったのである。それを強いて「京都」としたのは,他所から来た人に分かってもらうためには仕方ないから「京都」にするが,自分たちは「JR 京都駅前駅」という意味合いで意識する,という風に折り合いをつけたのである。
札幌では,やはり同じことが意識され,「さっぽろ駅」は市を代表する駅ではないというメッセージを込めて命名されたのである。
Wikipedia には「JRの札幌駅が「市全体」を意味するのに対し、地下鉄のさっぽろ駅は「地下鉄駅周辺の限られたエリア」を意味することから」と説明があるが,それだけではわかりにくいであろう。上の文章を読んだ後でこの説明を読むと,言わんとすることが分かるのではないだろうか。
2008年09月17日
Word がハングしたときの対処法
Word の文書内で別のアプリケーションを動かしているときにハングすることがある。私が良く使うのは ChemDraw であるが,折角構造式を書いた後で Word の文章入力に戻ろうとするとハングしてしまい,泣く泣くもう一度作り直すことが良くあった。しかし,これはどうやら解決できそうである。ハングしたときに,コンピュータを正規の手順で終了する。そうすると Word 文書を保存するかどうか訊いてくる。そこで保存をし,再起動して問題の文書を開けると,ハングした時までに作っていた構造式が出てきてくれた。ありがたい。
似たような経験をされた方はお試しください。
似たような経験をされた方はお試しください。
2008年09月10日
一般人にわからせようとするな
相撲界の大麻吸引問題の騒ぎは峠を越えたようであるが,報道を見ていてふと感じたことがある。騒動そのものではなく,検査方法を紹介した月曜の番組である。NHK であったか民放であったかは憶えていないが,三菱化学メディエンスでの精密検査がどのようなものであるかを解説していた。大麻の有効成分である Δ9-tetrahydrocannabinol が体内で代謝を受けて生じる Δ9-tetrahydrocannabinol-11-oic acid を GC-MS (ガスクロマトグラフ質量分析計)で同定しつつ定量するもので,番組では画像でその GC-MS による測定を説明していた。どこかの研究室に放送局の記者が訪れて説明を受けたものであろうが,私はその説明に大きな違和感を感じた。
記者は「試料を 240 °C に熱して蒸気の状態にして精密に分析します。」と言っていた。視聴者の興味は,本当に大麻の成分なのか,そしてそれがどれだけの精確で定量できるのか,ということであろう。力士の一人が風邪薬の服用による偽陽性を主張しているので,本当に大麻の成分(正確にはその代謝物)であるかどうかが重要なところである。それがわかっているだけに,記者に説明した人も,GC-MS の原理を細かく説明したのだろう。それを正しく伝えてもらえれば,一般人に「ああ本当にきっちりとした分析だ」とわかってもらえると思ったであろう。ところがその希望は無知な記者によって無残にも打ち砕かれたのである。GC-MS の根幹は分子の性質と分子量の二次元的な分離である。それによって目的分子の同定の信頼性が得られるのである。240 °C に熱して気化することは,必要であるが原理の主要な部分を占めるものではない。おそらく説明者は記者に対して,順番どおり「気化し」「性質によって分離し」さらに「分子の大きさによって分離する」ことを説明したのであろう。後の二つをどのように説明したのかわからないが,記者にはその二点がピンと来ず,どうでも良い「気化」だけに触角が動いたものと思われる。想像だが,「240 °C」と聞くと,天麩羅を揚げるときの油の温度よりも高いので,「すごい温度だ!」と思って「試料を 240 °C に熱して蒸気の状態にして」を強調するレポートとなったのであろう。実際にそのときの記者の喋っているのを聞くと,「240 °C に」と「蒸気にして」に力がこもっていた。
私自身,若いころに教授に命じられて研究室の仕事を新聞記者に説明したことがある。説明にも苦労したが,何より困ったのは後で送られてきた原稿の酷さである。用語の誤りはもとより,説明になっていない説明や的外れなたとえがなされていて,直してもらうように頼んだが,「あなたのおっしゃる文章では一般人にはわかりにくいので」と言って,用語の誤り以外は応じてもらえなかった。これならこちらで書いたものをそのまま記事にしてもらったほうが絶対に「一般人」にもわかったはずだ,と今でも思っている。
このような記者の無知は科学に限ったことではないのではないか。メディアにはわかり易く一般人に説明しているのだという思い上がった考えが伝わってくる文章が散見される。「一般人にはこう言わないとわからないのだ」という思い込みがあるようであるが,大きなお世話である。一般人に比べてメディアに携わるものが果たしてどれだけ事象を深く理解しているのだろうか。「わかり易い」というのは危険である。そのことは「わかり易い政治」がどんなものであったかを経験した我々日本人が良くわかっているはずではないか。
記者は「試料を 240 °C に熱して蒸気の状態にして精密に分析します。」と言っていた。視聴者の興味は,本当に大麻の成分なのか,そしてそれがどれだけの精確で定量できるのか,ということであろう。力士の一人が風邪薬の服用による偽陽性を主張しているので,本当に大麻の成分(正確にはその代謝物)であるかどうかが重要なところである。それがわかっているだけに,記者に説明した人も,GC-MS の原理を細かく説明したのだろう。それを正しく伝えてもらえれば,一般人に「ああ本当にきっちりとした分析だ」とわかってもらえると思ったであろう。ところがその希望は無知な記者によって無残にも打ち砕かれたのである。GC-MS の根幹は分子の性質と分子量の二次元的な分離である。それによって目的分子の同定の信頼性が得られるのである。240 °C に熱して気化することは,必要であるが原理の主要な部分を占めるものではない。おそらく説明者は記者に対して,順番どおり「気化し」「性質によって分離し」さらに「分子の大きさによって分離する」ことを説明したのであろう。後の二つをどのように説明したのかわからないが,記者にはその二点がピンと来ず,どうでも良い「気化」だけに触角が動いたものと思われる。想像だが,「240 °C」と聞くと,天麩羅を揚げるときの油の温度よりも高いので,「すごい温度だ!」と思って「試料を 240 °C に熱して蒸気の状態にして」を強調するレポートとなったのであろう。実際にそのときの記者の喋っているのを聞くと,「240 °C に」と「蒸気にして」に力がこもっていた。
私自身,若いころに教授に命じられて研究室の仕事を新聞記者に説明したことがある。説明にも苦労したが,何より困ったのは後で送られてきた原稿の酷さである。用語の誤りはもとより,説明になっていない説明や的外れなたとえがなされていて,直してもらうように頼んだが,「あなたのおっしゃる文章では一般人にはわかりにくいので」と言って,用語の誤り以外は応じてもらえなかった。これならこちらで書いたものをそのまま記事にしてもらったほうが絶対に「一般人」にもわかったはずだ,と今でも思っている。
このような記者の無知は科学に限ったことではないのではないか。メディアにはわかり易く一般人に説明しているのだという思い上がった考えが伝わってくる文章が散見される。「一般人にはこう言わないとわからないのだ」という思い込みがあるようであるが,大きなお世話である。一般人に比べてメディアに携わるものが果たしてどれだけ事象を深く理解しているのだろうか。「わかり易い」というのは危険である。そのことは「わかり易い政治」がどんなものであったかを経験した我々日本人が良くわかっているはずではないか。
2008年08月29日
アメリカの世界戦略の原動力はイギリスである
メディアが米英とイスラエルに握られているということは,明らかには見えない形でジャーナリズムの自主規制をもたらしている。このような状態は 9.11 以降顕著になっているが,それ以前からずっと続いてきたことである。
単純に見ると,アメリカが自らの世界戦略に基づいて行動し,イギリスがそれに同調しているという印象を受ける。ところが,アメリカは本来孤立主義的傾向がある。そのアメリカをロシア包囲網の形成に参加させ,主要な役割を負わせてきたのはイギリスである。
話は少しそれるが,イギリスを旅行するとイギリスの豊かさ,それも物質面だけではなく精神面での豊かさを感じる。それほど大きくない町でもコンサートホールがあってほぼ毎日のようにほぼ席が埋まっている。住民によほどの余裕がないと不可能であり,日本では考えられないことである。しかしそれらは,イギリス人の努力の結果でもあろうが,一番大きいのは帝国主義による搾取の結果得られたものである。イギリスがかつての富を吸い上げる機構を失ったあとは凋落の時代が続いたが,近年は国際金融の場としての地位を獲得し,これがイギリス経済の牽引力となっている。何のことはない。本来それぞれの国で取引されるべき金(かね)がイギリスで取引きされているわけであり,形を変えた帝国主義に他ならない。アメリカを自らの隊列に組み込んで世界戦略を代行させた上で,実質的にイギリスが支配している金融部門を再びイギリスに移転させたのである。
しかしイギリスは単に金融だけでやっていこうとは思っていない。世界各地のさまざまな利権の獲得・維持をあきらめていない。豊かな生活を維持するためには,イギリスは何としても帝国であり続けなければならないからである。石油や天然ガスの利権はそうした利権の一つである。
リトビネンコ事件ではっきりと浮かび上がってきたのがベレゾフスキーに代表されるイギリスのロシア人社会である。これらはオリガルヒ(新興財閥)の一部であり,エリツィン時代に財を成したものである。エリツィンは「資本主義化を指導する」ためにやって来たアメリカ人顧問団の指示に唯々諾々と従って,その結果,貴重な国有財産を破格の安値で競り落とさせた。これを元手に巨額の富を手にしたオリガルヒはその財産をイギリスに置いた。当然このようなイギリスとの結びつきは,イギリスがロシアの天然資源の利権を握るきっかけを与えることになる。イギリスに忠実なアメリカもその分け前に預かることができよう。「売国」という言葉があるが,オリガルヒの行ったのは文字通り国を売ることであった。
エリツィンがそのことに気が付いたのかどうか,彼は突然職を辞してプーチンを後継者に指名した。プーチンはすぐにオリガルヒの解体に乗り出す。それと期を一にして英米のメディアがプーチンを悪者にしはじめた。その後の経過は周知の通りである。なぜリトビネンコ事件がイギリスで起こったか。なぜベレゾフスキーがイギリスに政治亡命したか。国会議事堂を戦車で砲撃させたエリツィンよりもプーチンのほうを西側メディアが口を極めて非難するのはなぜか。上記のことを見ればその理由は明らかであろう。
イギリスにとってはアメリカが昔の孤立主義に戻るのは好ましくない。そのためには常にロシアの脅威を口にしなければならない。第二次大戦後アメリカが国連の設立を通じて世界を多極化しようとしたときも,危機感を抱いたチャーチルはアメリカで「鉄のカーテン」演説を行い,対ソ恐怖を煽った。冷戦はそのときから始まった。今回の南オセチア・アブハジアの問題を巡っても「新冷戦」という言葉が出てきている。イギリス外相ミリバンドは冷戦を懸念して見せているが,実のところ(適度の)冷戦の再来を望んでいるのはイギリスなのである。理由は,そのほうが,イラク・アフガニスタンで疲弊し厭戦気分の出てきているアメリカを繋ぎとめておけるからである。狙いは成功し,おそらく 11 月のアメリカ大統領選挙ではマケインが当選するだろう。しばらくはイギリスの世界戦略はほころびを見せそうにない。
さて,このことは日本とはどう関係してくるか。勿論関係は大有りである。日本は明治維新のときからイギリスの世界戦略,すなわち大陸封じ込めの政策に組み込まれているのである。薩長を助けてクーデターをおこさせ,親英政権を樹立させたのは,ロシアのことが念頭にあったはずである。これは日本が植民地化されなかった理由の一つでもある。第二次大戦(太平洋戦争)は本来英米の同盟国である日本が「分不相応に」突出したことへのしっぺ返しである。この太平洋戦争で英米と戦ったことがカモフラージュとして働いているために,イギリスの世界戦略に組み込まれている日本という図式が見えてこないのである。
長くなったようである。結論を言うと,イギリスが世界のメディアを支配を通じて頑張っている間,日本は永遠に大陸との対立を解くことはできない,ということである。それではイギリスの世界戦略の道具であるアメリカが本来の孤立主義に戻ってイギリスと袂を分かつ可能性はあるのだろうか?次はこのことを考えてみたい。
単純に見ると,アメリカが自らの世界戦略に基づいて行動し,イギリスがそれに同調しているという印象を受ける。ところが,アメリカは本来孤立主義的傾向がある。そのアメリカをロシア包囲網の形成に参加させ,主要な役割を負わせてきたのはイギリスである。
話は少しそれるが,イギリスを旅行するとイギリスの豊かさ,それも物質面だけではなく精神面での豊かさを感じる。それほど大きくない町でもコンサートホールがあってほぼ毎日のようにほぼ席が埋まっている。住民によほどの余裕がないと不可能であり,日本では考えられないことである。しかしそれらは,イギリス人の努力の結果でもあろうが,一番大きいのは帝国主義による搾取の結果得られたものである。イギリスがかつての富を吸い上げる機構を失ったあとは凋落の時代が続いたが,近年は国際金融の場としての地位を獲得し,これがイギリス経済の牽引力となっている。何のことはない。本来それぞれの国で取引されるべき金(かね)がイギリスで取引きされているわけであり,形を変えた帝国主義に他ならない。アメリカを自らの隊列に組み込んで世界戦略を代行させた上で,実質的にイギリスが支配している金融部門を再びイギリスに移転させたのである。
しかしイギリスは単に金融だけでやっていこうとは思っていない。世界各地のさまざまな利権の獲得・維持をあきらめていない。豊かな生活を維持するためには,イギリスは何としても帝国であり続けなければならないからである。石油や天然ガスの利権はそうした利権の一つである。
リトビネンコ事件ではっきりと浮かび上がってきたのがベレゾフスキーに代表されるイギリスのロシア人社会である。これらはオリガルヒ(新興財閥)の一部であり,エリツィン時代に財を成したものである。エリツィンは「資本主義化を指導する」ためにやって来たアメリカ人顧問団の指示に唯々諾々と従って,その結果,貴重な国有財産を破格の安値で競り落とさせた。これを元手に巨額の富を手にしたオリガルヒはその財産をイギリスに置いた。当然このようなイギリスとの結びつきは,イギリスがロシアの天然資源の利権を握るきっかけを与えることになる。イギリスに忠実なアメリカもその分け前に預かることができよう。「売国」という言葉があるが,オリガルヒの行ったのは文字通り国を売ることであった。
エリツィンがそのことに気が付いたのかどうか,彼は突然職を辞してプーチンを後継者に指名した。プーチンはすぐにオリガルヒの解体に乗り出す。それと期を一にして英米のメディアがプーチンを悪者にしはじめた。その後の経過は周知の通りである。なぜリトビネンコ事件がイギリスで起こったか。なぜベレゾフスキーがイギリスに政治亡命したか。国会議事堂を戦車で砲撃させたエリツィンよりもプーチンのほうを西側メディアが口を極めて非難するのはなぜか。上記のことを見ればその理由は明らかであろう。
イギリスにとってはアメリカが昔の孤立主義に戻るのは好ましくない。そのためには常にロシアの脅威を口にしなければならない。第二次大戦後アメリカが国連の設立を通じて世界を多極化しようとしたときも,危機感を抱いたチャーチルはアメリカで「鉄のカーテン」演説を行い,対ソ恐怖を煽った。冷戦はそのときから始まった。今回の南オセチア・アブハジアの問題を巡っても「新冷戦」という言葉が出てきている。イギリス外相ミリバンドは冷戦を懸念して見せているが,実のところ(適度の)冷戦の再来を望んでいるのはイギリスなのである。理由は,そのほうが,イラク・アフガニスタンで疲弊し厭戦気分の出てきているアメリカを繋ぎとめておけるからである。狙いは成功し,おそらく 11 月のアメリカ大統領選挙ではマケインが当選するだろう。しばらくはイギリスの世界戦略はほころびを見せそうにない。
さて,このことは日本とはどう関係してくるか。勿論関係は大有りである。日本は明治維新のときからイギリスの世界戦略,すなわち大陸封じ込めの政策に組み込まれているのである。薩長を助けてクーデターをおこさせ,親英政権を樹立させたのは,ロシアのことが念頭にあったはずである。これは日本が植民地化されなかった理由の一つでもある。第二次大戦(太平洋戦争)は本来英米の同盟国である日本が「分不相応に」突出したことへのしっぺ返しである。この太平洋戦争で英米と戦ったことがカモフラージュとして働いているために,イギリスの世界戦略に組み込まれている日本という図式が見えてこないのである。
長くなったようである。結論を言うと,イギリスが世界のメディアを支配を通じて頑張っている間,日本は永遠に大陸との対立を解くことはできない,ということである。それではイギリスの世界戦略の道具であるアメリカが本来の孤立主義に戻ってイギリスと袂を分かつ可能性はあるのだろうか?次はこのことを考えてみたい。
2008年08月28日
南オセチア報道の怪(2)
昨日の朝日夕刊は「米欧,ロシア非難続々」という記事を載せている。筆者はワシントン,ニューヨーク,そしてモスクワの三人の駐在記者の連名である。ところが,内容は西側のロシア非難の紹介だけである。一体モスクワ駐在記者は何を取材していたのだろうか。一昨日から昨日にかけては,ラブロフ外相がコソボと南オセチアの状況が似ているけれども重大な違いがあること(これについては昨日の本ブログの記事に書いた)を指摘している。今回の南オセチア・アブハジアの問題を理解する上で重要な発言であるのにそれを報道しないのはなぜか。
日本のメディアは意図的に 1) グルジアの先制攻撃 と 2) コソボ の二つを避けているとしか思えない。ようやく昨日の朝の NHK ニュースで,モスクワの駐在員がロシアの主張,すなわちコソボ独立を支援し,南オセチア・アブハジア独立に反対するという西側の「ダブルスタンダード」への批判を紹介していた。また本日の朝日朝刊はメドベージェフが英フィナンシャルタイムズに寄稿し,そのダブルスタンダード批判を行ったことを伝えていた。しかし,これはもっと早くから,ロシアはもとより欧米でも議論されていたことである。25 日のロシアのノーボスチ通信のウェブサイトには「ロシアは南オセチア・アブハジアを承認すべきか?」という論評が掲載されていた。そこには「ロシアがこの二地域を承認すると,コソボ独立に正当に反対したこととの一貫性が損なわれる」とロシア政府に慎重な対応を求めていた。これほど突っ込んだ議論が行われているのにそれが日本に伝わってきていない。
日本の記者は日本の近隣の出来事であればそれなりに分析を行うのかもしれないが,ヨーロッパ大陸周辺で起こっていることは欧米の報道をそのまま垂れ流すだけなのだろうか。ロシア発の報道は信用ならないと決めてかかって,それについての分析をしていないことがよくわかる。これは一種の洗脳状態である。欧米の論調を主導しているのは,多くの識者が指摘するようにアメリカのネオコンとイギリス,イスラエルである。日本のメディアは欧米以上に彼らの意図のままになっているというわけである。
日本のメディアは意図的に 1) グルジアの先制攻撃 と 2) コソボ の二つを避けているとしか思えない。ようやく昨日の朝の NHK ニュースで,モスクワの駐在員がロシアの主張,すなわちコソボ独立を支援し,南オセチア・アブハジア独立に反対するという西側の「ダブルスタンダード」への批判を紹介していた。また本日の朝日朝刊はメドベージェフが英フィナンシャルタイムズに寄稿し,そのダブルスタンダード批判を行ったことを伝えていた。しかし,これはもっと早くから,ロシアはもとより欧米でも議論されていたことである。25 日のロシアのノーボスチ通信のウェブサイトには「ロシアは南オセチア・アブハジアを承認すべきか?」という論評が掲載されていた。そこには「ロシアがこの二地域を承認すると,コソボ独立に正当に反対したこととの一貫性が損なわれる」とロシア政府に慎重な対応を求めていた。これほど突っ込んだ議論が行われているのにそれが日本に伝わってきていない。
日本の記者は日本の近隣の出来事であればそれなりに分析を行うのかもしれないが,ヨーロッパ大陸周辺で起こっていることは欧米の報道をそのまま垂れ流すだけなのだろうか。ロシア発の報道は信用ならないと決めてかかって,それについての分析をしていないことがよくわかる。これは一種の洗脳状態である。欧米の論調を主導しているのは,多くの識者が指摘するようにアメリカのネオコンとイギリス,イスラエルである。日本のメディアは欧米以上に彼らの意図のままになっているというわけである。
2008年08月27日
南オセチア報道の怪
南オセチア・アブハジアでの武力衝突について,日本のメディアはグルジア側に立った報道ばかり繰り返している。欧米のメディアは勿論ロシアに非難を浴びせているが,それでも次の二点を完全には無視していない。
1) 最初に攻撃したのはグルジアである。
2) 西側はセルビアからのコソボの独立を公然と支援した。
米英と異なり,東欧を除くヨーロッパ諸国のロシアへの対応が現時点で必ずしも苛烈なものではないのは,エネルギーの問題だけでなく,この二点を衝かれると強く反論できないからである。この二点に関しては掘り下げれば掘り下げるほど,西側にとって有利なものは出てこない。先ず,グルジアの先制攻撃について言えば,南オセチア・アブハジアに駐留している平和維持軍の実体はロシア軍であるが,これは国連が認めたものである。また両地域における停戦状態はグルジア政府との協定に基づくものである。それを破ってツヒンバリを攻撃し,今回の一連の武力衝突を通して最大の犠牲者を出したことについてグルジア政府が批判されないのはおかしい。ドイツのメルケル首相がロシアの反撃を "disproportionate" (相応でない)と批判したが,これは裏を返せば,グルジアの先制攻撃の事実とその犯罪的行為を認めていることに他ならない。次にコソボと南オセチアの関係であるが,状況は互いに似ているように見えるが異なる点がある。両地域ともかつての紛争のあと,停戦協定が結ばれ,将来に向けての話し合いがもたれる予定になった。セルビアは 1999 年以降コソボに対して軍事的な侵攻を行わなかったが,コソボは一方的に独立を宣言した。一方,南オセチアでは今回,グルジアが侵攻し,それに失敗した後に南オセチアが一方的に独立を宣言した。また,停戦協定の前に遡ると,コソボ紛争では NATO がベオグラードを 3 ヶ月間空爆したが,ロシアが過去にトビリシを空爆したことはなかった。
以上のことは西欧各国のリーダーは十分認識している。そうであるから,彼らのロシア批判の根拠はほぼ唯一,南オセチア・アブハジア以外の地域に侵攻し,駐留を続けている点しかないのである。
(この記事続く)
1) 最初に攻撃したのはグルジアである。
2) 西側はセルビアからのコソボの独立を公然と支援した。
米英と異なり,東欧を除くヨーロッパ諸国のロシアへの対応が現時点で必ずしも苛烈なものではないのは,エネルギーの問題だけでなく,この二点を衝かれると強く反論できないからである。この二点に関しては掘り下げれば掘り下げるほど,西側にとって有利なものは出てこない。先ず,グルジアの先制攻撃について言えば,南オセチア・アブハジアに駐留している平和維持軍の実体はロシア軍であるが,これは国連が認めたものである。また両地域における停戦状態はグルジア政府との協定に基づくものである。それを破ってツヒンバリを攻撃し,今回の一連の武力衝突を通して最大の犠牲者を出したことについてグルジア政府が批判されないのはおかしい。ドイツのメルケル首相がロシアの反撃を "disproportionate" (相応でない)と批判したが,これは裏を返せば,グルジアの先制攻撃の事実とその犯罪的行為を認めていることに他ならない。次にコソボと南オセチアの関係であるが,状況は互いに似ているように見えるが異なる点がある。両地域ともかつての紛争のあと,停戦協定が結ばれ,将来に向けての話し合いがもたれる予定になった。セルビアは 1999 年以降コソボに対して軍事的な侵攻を行わなかったが,コソボは一方的に独立を宣言した。一方,南オセチアでは今回,グルジアが侵攻し,それに失敗した後に南オセチアが一方的に独立を宣言した。また,停戦協定の前に遡ると,コソボ紛争では NATO がベオグラードを 3 ヶ月間空爆したが,ロシアが過去にトビリシを空爆したことはなかった。
以上のことは西欧各国のリーダーは十分認識している。そうであるから,彼らのロシア批判の根拠はほぼ唯一,南オセチア・アブハジア以外の地域に侵攻し,駐留を続けている点しかないのである。
(この記事続く)



